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3月11,12,13日に 東京で体験したこと(記録)
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記憶が鮮明なうちに、あまりにも細かく書いておこう。これは記録のつもり。
あちこちに記事を残しておくつもりだ。
●3月11日
東大に落ちて、東京工業大学後期日程入学試験を受けるために、のぞみ226号に乗って、東京まで向かった。
13時23分東京駅到着。本当は品川で降りた方が近いんだけど。山の手線外回りで、目黒駅まで向かう。
目黒に着き、道に迷いながらも目黒駅前のホテルへチェックイン。ちょうど14時ごろ。
カードキーがおかしかったので取り替えてもらい、14時30分ごろホテルを出る。
東京工業大学の下見に行き、会場案内をもらう予定だった。
東急目黒線に乗車。各駅。途中で急行に乗り換える。
14時49分、電車が急ブレーキ。「急停車します」のアナウンス。自信のため停車したとの車内放送が。乗客は一斉に携帯電話を取り出した。自分も情報収集を始める。そして女子高生のグループが騒いでうるさい。こういう奴らが一番最初に死ぬんだなと思った。
15時30分ごろ、点検のために電車を下ろされる。急停車したところがちょうど洗足駅だった。天気は曇り、気温は低く寒い。
全く復旧の見込みも無く、ひたすら情報を集めていたが、駅前にあった小さな薬局で、お茶とカイロだけ購入しておいた。
広場で赤本を開いて勉強するが、落ち着かない。16時55分、しびれを切らして、大岡山まで歩くことにした。
このとき、すでに携帯電話はつながりにくくなっていた。道を間違えたけれど、親と連絡を取って何とか大岡山駅に着いた。
携帯電話のGPS機能も使えなくなっていた。あれって電話回線使うのかな。
大岡山の方がちょっと大きめの駅なので、その分人も多かった。そこにタクシーがあることを期待して行ったのだが、何十人も並んでいた。
まずは東工大に向かい、受験案内をゲット。電車は依然として動かず、地理もよくわからないのに歩いて目黒駅まで行くのは危険だと判断し、タクシー待ちに並ぶことに。
東急は駅構内に人を入れてくれなかった。日はとっくに落ち、寒さは増すばかり。買っておいたカイロがこんなところで役に立つとは。
タクシーは、20分~30分に1台しか来なかった。気づいたら、僕の後ろには200人くらい並んでいた。そして、携帯電話の電池が遂に切れてしまったのだ。
持っていたKindleは、非常に電池の持ちもいいので、これで親と連絡を取ることにした。
しかし、親の携帯電話のメールへは、僕のPCアドレスからだとメールが届かなかったのだ。残念すぎた。
19時40分ごろ(ここまでずっと寒い中立って並んでいたんだ)、若い男性が、タクシー待ちを仕切っていた。同じ方向の人をまとめて乗せようという理にかなった作戦。
「目黒方面の方!」と言われて本当に助かった。数十分に1台しか来ないタクシーを、待ち人数はあと10人だったとはいえ、待っていてはあと1時間はかかっただろう。
1人は共立メンテナンスの若い男性、もう1人はおばさんで、埼玉浦和から来たとか。
首都高速も通行止めで、道路は思ったより混んでいた。
そして、20時50分、目黒駅前に到着。道はとても混んでいたし、バス待ちで数百人の列を作っていた。
ホテルではエレベータ停止のため、階段で9階まで登る羽目に。
急いで携帯電話を充電。メール等を確認すると大騒ぎになっていた。
まず、突然僕が連絡付かなくなったということで、
・学校の担任の先生から家へ連絡
・僕の高校の生徒で東京に行った中で連絡がつかないのは僕だけ
・担任から直接僕にメール
・親からもメールや電話
・両親はついに車で東京へ向かう
・おじいちゃんは市会議員に連絡
・地元市議会議員から僕に電話
・目黒区の議員の連絡先メールが届く
・おばあちゃんはすごく心配してくれる
といったことが行われていた。
当然、電池が切れていたのであの時に電話やメールは一切確認できなかった。
電話は全くつながらず、向こうからの着信は問答無用で不在扱い。後からSMSが届く。
テレビをつけ、視覚的情報を得る。津波に驚く。初めて災害用伝言版を使った。
夕飯がまだであったから、階段を下り、店を探す。モスバーガーがあったはずだが見当たらない。コンビニに入るも、あるのは雑誌だけ。
24時間営業のCoCo壱番屋も閉店している。
やっと見つけた入れそうな店、五湯道(おたんどん)目黒店 http://r.gnavi.co.jp/e575100/ へ入り、夕食にラーメン。やっとありつけた食事(新幹線での駅弁以後何も食べていなかった)だった。
ホテルへ戻り、連絡を取り、ボーっとテレビを眺め、風呂へ。
余震がすごかった。9階ということもあって、寝るに寝られなかった。テレビはつけっぱなしにしておいた。
●3月12日
携帯電話の緊急地震速報で目が覚める。あの音は心臓に悪い。
はっきり言って恐怖である。震源からは遠いとはいえ、余震もすごいし、交通網も麻痺してしまっていたから。
ニュースを見ながら、着替えて、顔を洗う。東急目黒線は通常通り運行だそうだ。よかった。
東工大は、前日夕方に、試験開始を2時間遅らせると発表していた。
朝食はホテルで普通に摂ることができた。
大学入試のため、昼食をあらかじめ買っておくのだが、セブンイレブンに入ると、人がいっぱいで、皆朝食を求めているようだった。
当然食品はほとんどなかった。かろうじておにぎりを見つけたので、3個だけ買う。
電車は混んでいなかった。昨日の入場記録を取り消してもらって、急行に乗って東工大へ。
試験時間は繰り下げられたが、開門時間はそのまま。
ところが、休憩時間もそのまま繰り下がるので、70分の昼休みが2時ごろになるという。
あまり眠れなかったせいで、物理や数学の時間に寝てしまった。緊急地震速報の夢も見た。
試験が終わり、ホテルに戻る前に夕食を済ませようとする。
目黒駅周辺で店を探し、横浜家系魂心家というラーメン屋に入る。炙りチャーシューとんこつ醤油ラーメン(900円)。食べ過ぎた。
ホテルに戻ると、エレベータが復旧していた。18時30分には部屋にいた。
そこから2時間以上テレビを茫然と眺める。勉強など手につかない。
風呂に入り、赤本を開きながらニュースを見る。ようやく親に電話がつながったので39分ほど会話する。
緊急地震速報が立て続けに発表された。NHKからはポーンポーン ピロンピロンの連続である。東京も揺れた。
ろくに勉強も出来ず、疲れていたので、12時には寝た。
●3月13日
未だに余震がすごかった。東京はそこまで大きな震度ではないにしても、怖くて仕方なかった。
7時に朝食を食べてすぐにコンビニに昼食の確保に向かったが、依然として食品は少なく、おにぎりはほとんどなし、サンドイッチが少しある程度だった。
その後二度寝していたが、緊急地震速報の音で飛び起きた。歯を磨いていても、トイレに入っていても、携帯電話がキュインキュイン鳴ったり、テレビがポーンポーン鳴ったりしていた。
大学で問題を解いている時も何回か揺れた。
試験は1時間遅れで実施。14時に終わり、何が起こるかわからないのでさっさと帰宅することにした。
死者はどんどん増え、マグニチュードはついに9.0に。
なんとかホテルに戻れ、なんとか試験も受けられ、なんとか帰れた。
18時に最寄駅に着き。家で家族と再会(大げさ)。
やっぱり地元が一番落ち着く。自分のベッドが一番心地がいいものである。
今後どうなってしまうのか。被災地も大変だが、明日は我が身である。
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